ならまち
奈良の都・平城京の外京として多くの社寺が置かれたことに始まり発展してきました。「ならまち」は奈良市の中心市街地南部に位置する歴史的町並みが残る地域の通称。狭い街路に、江戸時代以降の町屋が数多く建ち並んでいるほぼ全域が元興寺の旧境内にあたり、48.3ヘクタールが奈良市の都市景観形成地区に指定されています。
明日香村
奈良県の中央部に位置し中央集権律令国家の誕生の地である事から飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されている事で知られ、「日本の心の故郷」とも紹介されています。また日本で唯一全域が古都保存法対象地域の自治体となっています。
斑鳩の里
奈良県生駒郡斑鳩町。
斑鳩の里のはじまりは、推古天皇の時代に摂政として聖徳太子がこの地に斑鳩宮を置いたことです。太子はこの地において仏教の布教、日本で始めての憲法制定など、太子の政治、文化、学問が花開いたのです。
太子は605年に飛鳥から斑鳩宮に移り住み、仏教の理念を政治に取り入れた国家統一に尽力しました。斑鳩の里には多くの寺院が建立され、一帯には法隆寺を始め中宮寺、法起寺、法輪寺など聖徳太子ゆかりの古寺が点在しています。
谷瀬の吊り橋
奈良県吉野郡十津川村にある日本最長の生活用の吊り橋。地元の人や郵便配達員などはバイク等で渡って行くが、観光客は自転車やバイク等二輪車での通行は禁止されており、徒歩での通行のみ可能となっています。子供たちにとってはこの橋が地元の学校への通学路となっています。
仏隆寺の千年桜
仏隆寺は850年に弘法大師、空海の高弟・賢恵によって創建されました。参道の石段横にある桜は「千年桜」と呼ばれていますが品種がヤマザクラとエドヒガンザクラの雑種であるモチヅキザクラの一種と判明し、学術上でも貴重な桜となっています。樹齢も900年といわれる県下最大最古の桜です。
郡山城跡
郡山城は豊臣秀吉の実弟、豊臣秀長の居城でした。その後1724年に柳澤吉里が甲府より郡山に国替えとなり入城してから、桜樹の補植がはじまり、そのとき以来毎年春の開花期には藩士や町民達の楽しみであったといわれています。
明治になって城郭が取り払われましたが、旧藩士達が1880年本丸に柳澤吉保を祀る柳澤神社を建てて、その周辺に旧藩邸の桜樹を移植し、更に数百株を補植しました。そして毎年、かがり火をたき春宵一刻を 楽しむようになりました。これが夜桜のはじまりでしたが、その後1911年には、 樹齢も次第に老境に入り花の姿も衰えてきたので、当時の町長三木忠方が町民に呼び掛け寄付金を募り、桜樹3,000本を新しく城址一円に植えるとともに、かがり火を電灯に替え、大正10年(1921年)大軌電車(現在の近畿日本鉄道)の開通により大阪方面からも見物客が訪れるようになりました。
又兵衛桜
奈良県宇陀市。NHK大河ドラマ「葵・徳川三代」のオープニング画面で使われた事で有名な桜です。大坂の役で活躍した、戦国武将後藤又兵衛は豊臣家崩壊後、大宇陀の地で暮らし、再興の時期を待ったそうです。桜はその時の後藤家屋敷跡にあります。
吉野山
シロヤマザクラを中心に約200種3万本の桜が密集しています。可憐な山桜が尾根から尾根へ、谷から谷へと山全体を埋め尽く様は圧巻です。下、中、上、奥の4箇所に密集しており毎年4月上旬の下千本開花から約一ヶ月間見頃を楽しむことができます。
屯鶴峯(どんづるぼう)
奈良県香芝市。遠くからながめると多くの鶴が屯(たむろ)しているように見えることから「屯鶴峯」(どんづるぼう)と名付けられたそうです。二上山の火山活動により火山岩屑が沈積し、そのあと隆起によって凝灰岩が露出し、1500万年間の風化と浸食を経て奇岩群となった標高約150mの岩山です。第二次世界大戦のときに造られた複雑な防空壕が複数あります。
瀞峡(どろきょう)
和歌山県、三重県、奈良県にまたがる熊野川水系北山川上流にある峡谷。巨岩、奇岩、断崖が続く圧倒的な渓谷美は、古くから名勝と讃えられています。